『2050年のジャーナリスト』 下山進 毎日新聞出版

2050年のジャーナリスト

 私の父は大学生時代(1952年頃)、ジャーナリストになりたいと考えていたようだ。
 
 ジャーナリストとは何者なのか。  

新聞社のなかで、夕刊を廃止する社が増えている。
多くの人が情報を得るのはいまやネットやSNSなのかもしれない。
私が一日でもっとも早く、まともに接する朝食時のテレビニュースで得た、新聞の朝刊原稿締切以降の情報が夕刊を出していない新聞に掲載されて私の目に触れるのは、翌日朝食後に出勤して、新聞を読んでからになる。まさに一日以上遅れ。忙しくてなかなか読めなければそれだけ遅れる。

 現状として前うちどころか後追いだけであるならば、ニュース自体新聞に要らないという状況。他媒体よりも深掘りされたものでなければ、様々な論説やコラムだけで十分という感じ。あとはテレビニュースやネットで扱われない、多くの新聞でも扱われない、もしくは小さくしか扱われない記事のなにをどう扱うか、そこにこそ新聞の価値があるという感じ。

 この本では、前うちが不要になり、そしてデジタルが浸透していく時代にあってのジャーナリストがいかなる存在であるべきか、新聞社はどうあるべきか、著者の提言が述べられている。

 ジャーナリスト独自の深掘りを可能にする方法提案は腑に落ちた。


 取材というか、赴いて対面で会って云々というのが億劫な私としては、自己完結のなにがしかを書く方が楽でいい。
 ただ、自己完結の自己を自分で把握、理解するためには他者の書籍、原稿、メールやメッセージ、オンラインで得た情報に触れておくことは重要になる。
 自己完結は無理ということか。

 私はここにいる。

 私に近づいてきてくれた言葉の数々から、後世を笑顔に導くなにがしかが生み出せれば幸いと考えている。